大野弁吉
(1801年〜1870年)
加賀の平賀源内:理化学、医学、機械工学の技術者
奇人のからくり師:清貧に甘んじ、破屋に住む
仕官より自由、金儲けより究理発明
田中久重(1799〜1880)と同時代に生きる
田中久重と好対照の生涯
茶運び人形、三番叟人形、盃車
自動噴水器、覗きからくり、
エレキテル、無尽灯など
三番叟人形
エレキテル 覗きからくり
現在の電気マッサージ機 金沢市からくり記念館
地動説を示した地球儀、
「八線算数表」、「測量三角法」、
「応象寛暦」などの数学書
ボルタ電池、色ガラスや火薬の製法、
梅毒療法、写真機など
弁吉作と伝えられる写真機
大野弁吉の足跡
1801年 羽子細工師の子として京都で生れる
1820年頃 長崎に出て、医学・天文学・理化学を学ぶ
長崎なら対馬、対馬から朝鮮にも渡った
馬術、砲術、算術を究める
京都に帰って中村屋の娘うたと結婚
1830年頃 妻の実家の石川県大野村に移住、
以後、没するまでこの山村で生き抜く
弁吉の弟子には、米林八十八、朝倉長右衛門をはじめ
和算、医術、彫刻、写真など多分野で活躍した人たちがいた
かれらの後進の中には、
石川県の絹織物など殖産興行を支えた人々もいた
たとえば、津田吉之助----現在の津田駒工業株式会社
(参照:からくり記念館展示図録)
大野弁吉の記念館
石川県金沢市港大野
からくり記念館