歴代玉屋庄兵衛 系譜
享保18年(1733) |
初代 |
京の人形細工師であった庄兵衛は,名古屋市伝馬町のからくり人形「鶴」の修理、操作指導をする |
享保19年(1734) |
名古屋へ移住 |
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二代目 |
名古屋市緑区有松町、「布袋人形」「麾振り人形」制作 |
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名古屋市緑区有松町東町、「文字書き唐子人形」制作 |
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文化8年(1811) |
小牧市中本町「文字書き人形」七両一分にて細工との古文書あり |
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文化9年(1812) |
西春日井郡西枇杷島町,「麾振り人形」制作 |
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文化11年(1814) |
西枇杷島町西六軒町「麾振り人形」制作 |
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文政年間 |
三代目 |
小牧市中本町「麾振り人形」、「梅の木倒立の離れからくり」制作 |
文政二年(1819) |
「小牧市中本町十月十三日、玉屋庄兵衛病死」との箱書きがある。おそらく二代目であろう。 |
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文政十年(1827) |
犬山市外町「梅の木倒立の離れ唐子」制作 |
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西枇杷島町、西六軒町「鳥に変化する唐子」制作 |
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嘉永六年(1853) |
五代目 |
東海市横須賀町交通組「離れ唐子」制作 |
安政年間 |
半田市亀崎中切組「猩々の舞人形」制作 |
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半田市亀崎西組「神官の糸からくり」制作 |
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東海市横須賀町北町組「麾振り人形」制作 |
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東海市横須賀町大門組「三番叟人形」制作 |
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羽島市福江町「文字書きのからくり人形」制作 |
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安政二年(1855) |
名古屋市中川区牛立町「麾振り人形」制作 |
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小牧市横町「離れ唐子」制作 |
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安政四年(1857) |
津島市今市場小中切「麾振り人形」制作 |
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幕末期 |
知多郡武豊町小迎「大唐子(倒立・面かぶり・肩車)」、「小唐子」制作 |
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知多郡武豊町小迎「神子舞」(三人遣い)制作 |
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常滑市大野町、橋詰町「豊太閤人形」制作 |
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明治二十年(1887) |
津島市今七切米之座町「神官人形」、「麾振り人形」制作 |
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明治二十一年(1888) |
五代目没 |
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明治二十九年(1896) |
六代目 |
渥美郡田原町「神功皇后三韓出陣からくり」制作 |
明治三十年(1897) |
羽島市上町「瓶割り唐子」制作 |
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名古屋市緑区有松町,「神功皇后三韓出陣からくり」、「麾振り人形」制作 |
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明治三十二年(1899) |
津島市七切北町「麾振り人形」、「高砂と神官のからくり」制作 |
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明治三十五年(1902) |
小牧市上之町「湯取神事からくり」制作 |
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明治三十九年(1906) |
武豊町長尾下門区「神功皇后三韓出陣からくり」制作 |
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大正年間 |
半田市亀崎東組「湯取神事の糸からくり」制作 |
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大垣市岐阜町「麾振り人形」制作 |
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大正七年(1918) |
半田市下半田南組「巫女舞い」制作 |
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大正八年(1919) |
常滑市北条「巫女舞い」制作 |
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大正九年(1920) |
大垣市新町「麾振り人形」、「文字書き人形」制作 |
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大正十一年(1922) |
東京小石川山車造りの岩科家より岩次郎養子縁組にて入籍する。 |
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大正十二年(1923) |
岩次郎長男正守誕生 |
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大正十三年(1924) |
常滑市保示「桃太郎からくり」制作 |
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岩次郎、七代目を継がぬまま没 |
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半田市亀崎中切組「浦島太郎からくり」制作 |
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昭和元年(1926) |
半田市下半田北組「三番叟人形」、同中組「舞楽、太平楽を舞う人形」制作 |
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昭和三年(1928) |
犬山市新町「浦島人形」制作 |
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昭和五年(1930) |
六月、六代目没 |
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九月、正守(七歳)玉屋の家督を相続。 |
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昭和十三年(1938) |
羽島市中町「高砂と姥人形」制作 |
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昭和二十六年(1951) |
七代目 |
碧南市中区「浦島人形」制作 |
昭和二十七年(1952) |
四日市市新町「麾振り人形」、「文字書き人形」制作 |
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昭和二十九年(1954) |
庄次(九代目)、愛知県春日井市に生まれる。 |
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昭和三十年(1955) |
名古屋市中村区花車町二丁目「二福神の宝船」制作 |
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昭和三十九年(1964) |
大垣市岐阜町愛宕山車「三韓出陣人形」制作 |
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昭和四十四年(1969) |
大垣市綾野町「猩々の舞人形」制作 |
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昭和四十五年(1970) |
「茶運び人形」復元 |
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昭和四十九年(1974) |
東海市横須賀町北町組「紅葉の木に倒立する離れからくり」復元 |
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昭和五十年(1975) |
CBCクラブ文化賞受賞 |
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昭和五十二年(1977) |
高山市上三之町下組「竹生島の龍神」復元 |
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高山市下一之町上組「布袋人形と綾渡り」復元 |
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昭和五十四年(1979) |
京都市祇園祭「蟷螂山」 |
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桑名市今片町「石橋人形」制作 |
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庄次、父親である七代目玉屋庄兵衛(高科正守)に入門 |
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玉屋庄次郎名で本格的な人形修行に入る |
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富山県新湊市海老江西町「猿の面かぶり人形」制作 |
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昭和五十五年(1980) |
半田市下半田東組「麾振り人形」制作 |
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昭和五十六年(1981) |
桑名市今北町「桃太郎人形」制作 |
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庄次郎、七代目に協力して京都市祇園祭の蟷螂山車のからくり「かまきり」を復元 以来、毎年の祭で、からくり操作を請け負う |
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昭和五十七年(1982) |
半田市下半田中組「蘭陵王人形」制作 |
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昭和五十九年(1984) |
高山市上二之町上組「枕獅子の石橋人形」復元 |
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昭和六十年(1985) |
碧南市中区「乱杭渡り人形」 |
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つくば博、政府の「歴史館・からくり和時計」制作 |
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昭和六十三年(1988) |
五月一八日、七代目没。息子の正夫、八代目を襲名 |
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八代目 |
瀬戸大橋博「ヤマキ館・からくり人形時計塔」制作 |
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オーストラリア、キャンベラ科学技術センター「紅葉狩人形」制作 |
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福山市「大黒町の人形」制作 |
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平成元年(1989) |
名古屋市、若宮大通り「からくり人形時計塔、三英傑人形」」制作 |
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名古屋市デザイン博「名古屋市館・橋弁慶人形」制作 |
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名古屋市がロサンゼルス市に寄贈の「山車からくり人形・河水車」四分の一サイズ制作 |
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高山市高山祭「からくり鶴」制作 |
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金沢市、天徳院「珠姫物語」制作 |
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平成二年(1990) |
金沢市「からくり芝居・芋掘り藤五朗人形」制作 |
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四日市市「瓶割り人形」制作 |
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犬山市「三番叟人形」制作 |
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平成三年(1991) |
岐阜県御嶽町「橋弁慶人形」制作 |
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犬山市「猩々人形」制作 |
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平成四年(1992) |
横浜市、横浜人形の家「御所からくり人形」「面かぶり人形」などを一式制作 |
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犬山市、犬山駅東口「からくり人形時計塔・桃太郎人形」制作 |
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岐阜県古川町、越こし太鼓の里(祭り会館)、「三番叟人形」制作 |
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蒲郡市、三谷温泉ホテル平野屋「竹取物語」制作 |
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名古屋市からシドニー市に寄贈の「茶運び人形」制作 |
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愛知県がイタリア・ジェノバ博に出品の人形三体制作 |
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高山市、獅子会館「変身からくり美女の舞い」および「綾渡り、角兵衛獅子人形」制作 |
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第十四回都市文化奨励賞受賞 |
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名古屋市、名古屋港水族館「浦島太郎伝説」制作 |
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平成五年(1993) |
愛知県豊橋工業高校「からくり人形時計塔・鬼祭」制作 |
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岐阜県古川町、越こし太鼓の里(祭り会館)、「弁慶・牛若丸人形」制作 |
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平成六年(1994) |
鳥取市、鳥取世界おもちゃ博「茶運び人形」、「武者人形」、「福助人形」制作 |
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犬山市「羽衣人形」制作 |
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名古屋市、万松寺「からくり信長人形」制作 |
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三重県、まつり博「松尾芭蕉人形」、「茶運び人形」制作 |
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平成七年(1995) |
NHK東海いぶき賞受賞 |
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三月、庄次郎、九代目を襲名 |
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八月二十三日、八代目没 |
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平成八年(1996) |
九代目 |
犬山市余坂町宝袋「大黒人形」、「恵比寿人形」、「麾振り人形」全面修復 |
犬山市寺内町老松「神官人形」、「巫女人形」の全面修復 |
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犬山市魚屋町真先「麾振り人形」復元制作 |
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長野県坂井村「からくり水車、修那羅大天武人形」制作 |
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岐阜県恵那郡加子母村水無神社「上やま禰宣人形」制作 |
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平成十年(1998) |
3回忌明け、九代目襲名披露 |
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平成十三年(2001) |
犬山市新町「浦島」全面修復 |
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平成十四年(2002) |
犬山市中本町西王母「綾渡り」全面修復 |
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スイス調査旅行、オートマタ工房を訪問 |
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平成十五年(2003) |
犬山市外町「梅梢戯」全面修復 |
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名古屋市芸術奨励賞受賞 |
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名古屋テレビ「人間玉屋庄兵衛」放映 |
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NHKテレビ「課外授業、ようこそ先輩」(御器所小学校)放映 |
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平成十六年(2004) |
海外4ヶ国6都市「からくり公演」 ロンドン、エディンバラ、ローマ、バラット、カサブランカ、パリにて実演 |
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愛知万博のからくりモニュメント製作 |